5.法雲山 大橋寺(浄土宗西山禅林寺派)

法雲山 大橋寺(浄土宗西山禅林寺派)
ほううんざん だいきょうじ

寛永5(1628)年に第3代臼杵藩主稲葉一通公より現在地の森島(臼杵七島の一つ)を賜り、寺を移した

水面に映る美しい陰影
臼杵川に浮かぶ‟大きな橋の寺"

この寺の歴史は天文十七(1548)年、諸国を巡っていた祐範上人が産ヶ島に庵を開いたことから始まる。後に大友宗麟公が祐範上人に帰依し、精舎を建立。法雲山西方寺と号した。やがて増え続ける参拝者の便宜を図るために寺と町の間に大きな橋をかけた。そこから"大きな橋の寺"と町の人に親しまれ、寺号を『大橋寺』に変えたという。山門をくぐり石段を登ると中門と観音堂に分かれ、中門の奥に本堂が広がる。高低差を生かしながら塀や石垣で囲んだ造りは、戦時の出城(砦)としても考えられていたようだ。キリスト教が禁教とされた時代には、当時の第六世歴道上人が庄屋とはかり、村民総てが大橋寺の檀徒であるとして村の潜伏キリシタンの窮地を救うなど、逸話も多く伝わる。かつて町の人からの愛称が寺号に変わったように、寺と人との繋がりは令和の世でも健在だ。

臼杵藩4代・稲葉信通の継室・天量院様(織田信長のひ孫)の香合箱。
※寺宝として、普段は公開していない。

室町幕府の御用絵師・狩野元信が描いた、浄土宗開祖法然上人(右)と中国の浄土教・善導大師(左)が向かい合う二幅の画幅対がある。
※寺宝として、普段は公開していない。

御本尊は白鳳時代に造られた阿弥陀如来像。光背や蓮華台、脇の両菩薩は、それから1000年後の作。

「お寺に来ることで、皆さんが背負った重荷を少しおろしてもらえたら」と、32世住職・小野心誠さん

歴史のある寺だけに、大友宗麟公・同夫人、稲葉藩歴代の位牌を安置し、西南戦争で戦死した藤丸警部の墓などもある。

御朱印

住所
大分県臼杵市大字福良平清水115
電話
0972-62-5963
駐車場
スタンプの場所
玄関正面の部屋
トイレ

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