故郷から東京へ
"臼杵ふぐ"の文字に込めた思い
山田 喜美代
ヤマダ キミヨ
『料亭 山田屋』三代目女将
津久見市出身。臼杵市の銀行に勤務していたが、ご主人と結婚後、店を手伝いはじめる。温和で気さくな"山田屋の顔"として、多くの人をもてなしてきた。
「私が嫁いで来た頃(約40年前)、料亭の仕事は結婚式が中心でした。当時は昼と夜の2度に分けての大披露宴も多くて、それはにぎやかでしたよ」と懐かしそうに話すのは『料亭 山田屋』の三代目女将・山田喜美代さん。婚礼に限らず、かつては冠婚葬祭で料亭が広く使われてきた。敷居が高い高級店と思われがちな料亭だが、本来は暮らしの節目に人々が集う、とても近しい存在なのだ。今では大分市や東京にも店を構え、「ミシュランガイド東京」では9年連続三つ星を獲得するほどの店となったが、地元への思いは昔と少しも変わっていない。
「若い頃は、お客様の顔と名前を覚えるのに必死でした。いただいた名刺を見てフルネームで覚えましたよ。最近は忘れっぽくなったけど」そう言ってクスリと笑うが、そんな女将さんの人柄と細やかな心配りが料理の味を引き立て、多くの客の心を幸せな気持ちで満たしくれるのだ。
臼杵以外の店では、店名に”臼杵ふぐ”の文字がつく。これは、東京の人にも臼杵のことを知ってほしという思いからだ。「東京の人には”大分”のほうが分かりやすいかもしれませんが、それだと意味合いが違ってきますよね」。そう言って、また微笑む。優しい言葉と柔らかな笑顔には、故郷に寄せる深い思いがしなやかに織り込まれた。