吉丸一昌は明治六年(1873年)大分県北海部郡海添村(臼杵市海添)の下級士族の家に生まれました。
小学校尋常科から小学校高等科卒業までの成績は非常に優秀で、1889年大分中学(現大分県立大分上野丘高等学校)に入学、1894年に卒業しました。
東京府立第三中学校教諭となり、その後東京音楽学校(現東京芸大)の教授、文部省唱歌教科書編纂委員となり、明治末期から大正初期にかけて「早春賦」「木の葉」「故郷を離るる歌」(ドイツ民謡)など多くの唱歌を作詞しました。
有名な国文学者であった吉丸一昌(1873~1916)は、43歳の若さでこの世を去るまで、作詞家として斬新な童謡や文部省唱歌を数多く手がけました。
夫人の実家であった記念館には、当時の遺品や楽譜など、ゆかりの品々を展示しています。